郷土史〔今村のあゆみ〕より(第6章、第1節 2 忠魂碑)より

 忠魂碑は戦没者の供養のために建てられた碑のことで、大正天皇の即位記念事業として全国的に建立が広まった。

 今村においても大正7年頃、在郷軍人会の間で忠魂碑建立の議が起こり、翌年建設が決まった。予定地は白山比賣神社の西隣で、当時は田んぼだったため大量の土(650㎥)で埋め立てをする必要があった。そのため基礎の土盛りを、組割りの戸数で請け負った。桝塚(イトーヨーカ堂の北あたり)から、組中が総出で、夜を徹して運んだという。

 大正9年4月に竣工し、日露戦争における戦病死者2名の英霊を祀った。その後、太平洋戦争の戦病死者93名の英霊を合祀した。遺族会では毎年2月、忠魂碑前と専超寺と交互において戦没者慰霊祭を行っている。